2017年07月17日

あいだ慣れ親し

あいだ慣れ親し
時代の種族であると、まもなく判断するにいたった。奇怪さに加えて、ミイラの大半は豪奢《ごうしゃ》きわまりない織物にきらびやかにくるまれ、黄金、宝石、未知の輝く金属といったおびただしい装具でもって飾りたてられていた。
 この匍匐《ほふく》生物の地位の高さはこのうえないものだったにちがいない。壁と天井を飾る絵のなかでも、一番目立つ場所に描かれていた。画家は比類ない技をふるい、彼らの大きさにつりあう都市や庭園を擁する彼ら自身の世界のなかに、彼らを描きこんでいる。わたしとしては、壁と天井を覆う歴史絵巻が寓意的なものであり、おそらくは匍匐《ほふく》生物を崇拝していた種族の歴史の進展を示したものだと考えざるをえなかった。この生物は無名都市の住民にとって、ローマにとっての牝狼、インディアンにとってのトーテムのようなものだったのだ。そうわたしは自分にいい聞かせた初中數學補習
 この見解をとってみると、無名都市の驚異にみちた歴史をおおよそたどることができた。アフリカ大陸が大洋から隆起するまえに世界を支配していた、海辺の壮麗な巨大都市の物語を。海が後退し、巨大都市が位置していた肥沃な谷に砂漠が侵攻してきた際の闘いの物語を。わたしは見た。戦闘と勝利を、苦難と敗北を、砂漠を相手にする恐ろしい闘いを。奇怪な爬虫類として寓意的に描かれている幾千もの住民は、何か驚嘆すべき手段によって岩を掘りさげ、預言者の告げた別世界に通じる道を切りひらかざるをえなかったのだ。すべてが真にせまってなまなましいほど不気味かつ写実的に描かれていた。わたしの怖気立つ下降との関係はいかにも明白だった。わたしは絵のなかに自分の通った通路を識別することさえでき健康瘦身た。
 さらに明るいほうへと這い進みながら、わたしは歴史絵の後半を目にしていた――一千万年にわたり無名都市とその周囲の谷に住みついていた種族が、地上に告別する情景を見た。地球がまだ若かった頃、放浪をつづけた後に定住し、処女岩に原初の神殿を掘り抜いて、神殿での崇拝をかかしたことのない彼らにあってみれば、その魂は肉体があまりにも長いんできた風物から離れ去るにしのびなかったにちがいない。いまや光はさらに明るくなり、わたしは絵を念入りに調べ、奇怪な爬虫類が未知の人種を表しているにちがいないことを心にとめながら、無名都市の風習について思いをめぐらした。他に例を見ない不可解な風習が数多くあった。文字をもっていた文明は、どうやら遙か後に興起するエジプトやカルデアの文明よりも高い段階に達していたらしいが、妙に欠落しているものがあった。たとえば、戦争、暴力、疫病に関係するものは別として、死や葬儀を表す絵がまったくない。わたしは自然死に関して示されるこの抑制に驚かされた。さながら不死の理想が意気をあげる幻夢としてはぐくまれていたかのようだった。
 さらに通路の端に近づくにつれ、描かれる情景は、このうえもない雅致と破天荒さを発揮するようになった。廃墟と化していく無人の無名都市と、岩を穿《うが》って切りひらかれた奇怪な新しい楽園とを対照させる絵がいくつもあった。これらの絵において、都市と砂漠になった谷は常に月光によって照らされ、金色の光輪が崩れた石壁の上にたゆたい、おぼめくばかりに朦朧《もうろう》と示されるかつての目もあやな完成美をなかばあらわにし強精壯陽



Posted by liujingtao at 13:16│Comments(0)
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